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踊るブート法師(試運転中)
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OZZY OSBOURNE / BLIZZARD OF TORME[1CD-R]
LANGLEY / LANGLEY-206

01 Intro : Diary Of A Madman
02 Over The Mountain
03 Mr. Crowley
04 Crazy Train
05 Reveration (Mother Earth)
06 Steal Away (The Night)
07 Suicide Solution
08 Brenie Torme Guitar Solo
09 Tommy Aldridge Drum Solo
10 Goodbye To Romance
11 I Don't Know
12 Believer
13 Flying High Again
14 Iron Man
15 Children Of The Grave
16 Paranoid

Coliseim, New Haven, CT, USA / April 3rd, 1982

1982年3月19日のセスナ機事故でランディ・ローズが急逝、オジーはツアーを続行するために何人かのギタリストと接触し、白羽の矢をバーニー・トーメに立てます。しかしながらバーニーはわずか8公演に参加したのみでバンドを離れ、後任のブラッド・ギルスにその座を譲りました。なぜバーニーは早々に戦線を離脱したのでしょうか?

その理由に関しては、当初からいくつかの憶測めいたうわさ話がなされてきましたが、全8公演中3ステージ目にあたる同年4月3日ニューヘヴン公演の模様を収録したこのオーディエンス録音ブートを聴く限り、やはり“メンタルな面で問題があった”と思うしかないように感じます。テクニック的には微塵の不安もないはずの人材でありながら、この音源では随所でアーミングを多用しつつフレーズを探っているような様子がうかがえ、ランディのフレーズとはかけ離れた、曲に合わない(曲を壊す)ソロを弾いてしまっているのです。合流初ライヴならいざ知らず、3ステージ目ともなればリハーサル(もしくは自発的なフレーズ造り)の猶予が少ないながらも決して皆無だったとは思えないだけに、正直首をかしげたくなる出来です。もちろんあまりに急な参加であり、精神的に余裕がなかったであろうことは想像できるのですが、キャリアのあるプロ・ギタリストとして彼はこのブートで聴かれるソロ・プレイを本当に良しとしたのでしょうか。バーニーの公式サイトによれば、イギリスにいた彼は3月22日(もしくは23日)にバンド参加の要請を受け、作品を聴いたことがなかったためにオジーのアルバムを買いに走り、27日にL.A.に到着してオーディション、その後4月1日には最初のステージに立っているのですから、準備期間がほとんどなかったことは理解できます。いくらオジーやシャロンを始め皆が親切にしてくれたとは言っても、慣れないアメリカの地に渡って急遽参加したバンドですから、いきなり「安定したプレイを聴かせろ」と求めるのも無理な話なのかもしれません。しかし、例えば感涙なくしては聴けない名曲“Goodbye To Romance”におけるこの、フラついてまるで旋律の体を成していないフニャらけたソロを聴いてしまうと、やはり私には「ちゃんと弾けよバーニー……」としか言えないのです。上記の公式サイトにおける記述からは、彼の抱えた「ランディの代用品という立場にどうしても自分を置くことができなかった」「他人のフレーズを模倣することが許せなかった」といった類の苦悩を読み取れるのですが、後を受けたブラッドやジェイクが同様の問題を克服し、しっかりとランディのフレーズを活かしながら自分のプレイを確立させる、という成果をみせているだけに、どうしても“それを言い訳に逃げたバーニー”というイメージが拭えません。もちろん十分な時間が与えられたとして、そのときに完成するオジー+バーニーというコラボレーションがどういう結果を生んだのかは闇の中であり、元よりギター・スタイルがオジーには合わないギタリストだった、という懸念もあるにはあるのですが、少なくとも時間がないという状況下において彼は、自分のアイデンティティを押し殺してでも、最低限ランディの完コピでも構わないから、曲を死なせるようなソロは弾くべきではなかったのです。それを許さなかった“自我/信念の強さ”こそが、“メンタルな部分での問題”となって表面化したのではないだろうか……、そう考えさせられます(完コピの時間も無かった、完コピの方が時間がかかる、と言われたらそれまでなんですけどね)。

彼自身もやはりこのブートで聴かれるプレイを良しとはしていなかったのか、4月5日の晩に「もう辞めたい、でも後任が見つかるまでは続ける」とオジーに申し出てバンドを去ることになります。人間性、タイミング、相性……すべてにおいて物事が上手く噛み合わなかったのでしょう。ランディの急逝という不幸が、更なる別の不幸を呼び込んでしまったような気がします。

*バーニー自身のコメントに「初ステージは4月1日のペンシルヴァニア公演」とあるのですが、一部情報では“3月31日スプリングフィールド公演”というバーニー参加テープが存在するんだそう。果たしてまがい物か、本人の記憶違いか……。

【AUD音質:★★★】
【アートワーク:★★★】
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